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KOMIDASHI WO TSUKERO

ニュースや日頃考えていることなど

I will mostly address in Japanese or English on this page - apologies!

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  • Photo du rédacteur: Mari Okazaki
    Mari Okazaki
  • 10 févr.
  • 7 min de lecture

Dernière mise à jour : 11 févr.



旧正月の休暇があったので、久しぶりに家族揃って出かけてきた。夫はクリスマス前後の年末に少ししか休めず、私と子だけで日本へ行ったりしていたので、本当に久しぶりに家族全員揃ってのバカンスだった。まだフランスにいた、夏以来かな。



そもそも、思いついたのが私たちらしく、遅く、12 月中旬のこと... 最初はベトナムのフーコックを考えていたのだけど、出遅れたこともあって、いろいろ調べてみると、ものすごく高い!完全なる予算オーバーをくらった我々は、「とにかくどこか暖かいところへ行きたい。この極寒のソウルを少しでもいいから逃げ出したい!」という願望がますます高まるばかり。ぼーっと考えていると、ふと、『はて、フィリピンのセブって有名では...?』という私の思いつきで、調べてみると、予算圏内だし、ベトナムより近いしで、夫承認も無事に降りて、即予約。



うちのフランス人は、とにかく「オーシャンビュー、願わくばプライベートビーチ付き」というこだわりがありますので、Google マップ片手に、海沿いに立つホテルを隈なく探す... すると、島の最南端に、良さそうなところを発見。プールからは絶景が見え、レビューも高評価でいい感じ。



この時まだ、我々は気付いていなかった... そう、セブ島に行きたいと思っていたのに、辿り着いたのはセブ島ではなかったのである。




安心して欲しい。まさかフライトを乗り間違えたとかいう、そういう初歩的なミスではない。極寒の中、朝 3 時に家を出て、ごった返す仁川空港を出ると、マニラで乗り換えて、ちゃんと、セブ島の玄関である、セブ・マクタン空港に着いた。(ちなみに私は、4 時間だけ眠るよりも、もともと夜型なため、誰にも頼まれていないのに前記事を徹夜して書いたので、見事にお肌の衰えも感じながら、一睡もせずに出発!やっぱり睡眠って大事ですね...)



セブ・マクタン空港に着いてから、お願いしていたドライバーさんと出会うと、車へ Go。この時既に、夕方 16 時。ソウルの自宅を出てから、実に 12 時間以上が経過していた。



数日前に Google マップでルート確認をした時に、そもそも気付くべきだった。いや、正確には数日前では遅い。予約する前に気付くべきだった。なぜなら、なぜか「空港からホテルまで 4 時間 20 分」と表示されるのである。それも赤字で。ということは、渋滞がなく、よっぽど上手く行けば 4 時間 20 分で着くけど?ということである。



しかし、隣に 151km と書いてあったので、パリ方面からいつもブルターニュへ 4 時間かけて行く我々は、微塵も疑わなかった... 「151km なんて、2 時間くらいじゃない?」というよろしくない態度だったので、私たちは知らなかったのだよ... セブ島には、高速道路がないことを!!!(強調)



ここで、セブ島に行ったことがある・よく行くという方はお気付きであろう。そもそも、セブと呼ばれる本来のリゾートは、小さい島なので、例え縦横無尽に走ったとしても、4 時間もかかるはずがない。私たちは、なぜか空港を後にして、どんどん違う方へ... 『へー、やっぱり混むんだなぁ。セブの街はこういう感じなのか』と呑気に思っていたら、気のせいか、リゾートなんてものは全然見えてこない。見えてくるのは、とりあえずなんでもあるもの載せとけって具合な家と、日本でいう国道沿いにひしめき合って暮らす人々の姿である... 野良犬もよくいるな...


あれ、もっとリゾートが並んでそびえ立ってるイメージだったんだけどな?



そう... 実は、いわゆるリゾートのセブ島、本物のセブ島は正式名称「マクタン島」と言い、私たちが降り立った空港のすぐ裏手 = 海岸沿いにあったのだ!!私たちが向かっていたのは、セブ島はセブ島だけれども、マクタン島に比べてリゾートは点在している(それでも近年増えてきているらしいが...)という、つまりセブ島だけどセブ島ではない。まったく反対方向だったのである!!



えっ... じゃあ最初から「マクタン島」って PR してくれよ!!なんでセブ島って呼んでるの?!短いから?!セブ島に行きたかったのに、リゾートが少ないセブ島、でもそれは本当のセブ島、に来ちゃったじゃないかよう!!くっ、分かりづらい......


ここで、下の図をご覧頂こう。



右に赤い丸で囲ったところが、セブ島と呼ばれており、リゾートのある正式名称マクタン島。我々が目指していたのは、画面下、左端にある「地の果て」である。


行きの道中では、ドライバーのお兄さんが、話し相手がいなくて退屈したのか、この後泊まるところがないからなのか(英語の説明を聞いたけどいまいち分からなかった...)、なぜか途中で知り合いのおじさんから白い袋をもらって載せたり、若い女の子を載せたりして、島の東側を走らず、夜中の山道を爆走。


『これ、日本じゃ煽り運転って呼ばれるやつだよな...』と冷や汗かいたのは秘密にするとしても、スクーターや乗合バスを追い越すこと、およそ 1,000 回... という感じで、無事ホテルに着いたのは、23 時。えぇ、当初の予想を軽く超える、6 時間半もかかって到着したのである。



しかもこの時、ようやく「ここはどうやらセブ島じゃないらしい...」とはっきり分かってきた頃だったので、ここは一体どこなんだ、という衝撃といったらなかった。だけど、ここが本当のセブ島なんだけどね。ややこしいwww



ここで問題です。


「久しぶりの家族全員でのバカンス、どうやら間違った島にやって来てしまったと分かった時の気持ちを述べよ。なお、費やした予算のことも考慮されたし。」


...泣くしかない。



ソウルの自宅を出てから、華麗に 20 時間近くが経過しようとしていた。大人は何も食べなくてもすぐ眠れれば平気だけど、子はそういうわけにはいかない。いざという時のために、パックごはんを持ってきていた私は、早速営業終了後のホテルのキッチンにある電子レンジを借りて、おにぎりを作って食べさせる。まさか初日で消費するとは思わなかったけど、持ってきといてよかったぜ!!長期滞在すると、途中で日本食が恋しくなるので、子のためにチンするごはん、そして母のために辛ラーメンは外せないのだ。




こんなに移動したのも久しぶりで、本当に疲れたけれど、翌朝の景色を見たら、わざわざやって来た甲斐があったなと。感謝でいっぱい。




フィリピンには初めて行ったけれど、あちこちで人々の優しさに触れた。帰りのフライトに間に合うか不安だったので、一日早く田舎のホテルをチェックアウトして、本当のセブ島(でもそこは正式名称マクタン島...)で急遽一泊することにして、本当のセブ(しつこいけど正式名称マクタン島)も見れたし。前日に次の日のホテルが取れるなんて、インターネット万歳である。



そしてインターネットと言えば、フィリピンは 7,000 以上もの島で構成された国である。これ、インターネットのある今の時代だからまだやり取り可能だけど、インターネットのなかった時代はどうしてたんだ?!という疑問が... 。こういう国をマネージするのは大変だっただろうな...



最後の夜に、たまたま Google マップで見つけたレストランが、文字通り豪華なリゾートの中にあるレストランで、食事だけしに行ってきた。まるでディスニーランドの如く立派な施設に驚いた。フィリピンにとって、観光業で賑わうのはきっといいことだけど、見ていると、なんだか先進国から来た人間がお金を使い、美味しいものを食べ、いい思いをするために働いてもらい、一歩でもリゾートから出ると、変わらぬ貧困が目に飛び込んでくる... それは避けられない。



資材が届かず永遠に建設中なのか、キャンプのように暮らす人々。窓ガラスか屋根がない中、慎ましく暮らす人々の集落に対し、間違ってもカメラなんて向けられなかった。それは、フィリピンの至るところに広がる光景だったが、見る度に胸が痛んだ。今夜、本当のセブ島のリゾートにいて、こういう風にサービスしてもらうのも、なんだか uncomfortable な気がしてくる。そう思うのも、日本やフランスや韓国... いわゆる先進国から来た人間の、こちらの勝手な「おごり」で、偽善者気取りになるだろうか...



どうにかして、もっと富の分配が上手く行き渡らないものか。これからの政治に期待したい。フィリピンを巡る貧困の背景については、滞在中もいろいろと調べ、読み、勉強したつもりだけど、うーん。スペインとアメリカは罪深い。そして日本も一口噛んでいる。そしてこれだけは言える。教育は無茶苦茶大事である。




~ 今回の学び ~


セブ島に行く際は、島をお間違えなく😇



現場からは以上です。





 
 
 

Dernière mise à jour : 11 févr.


先週、ソウルは極寒でした。最高気温がマイナス 2 ℃という日もありました。私は思わず目をこすりました。でも紛うことなく、そこにはやはり「さいこう マイナス 2 ℃」と書いてありました...。あれ以上寒くなったら凍ってしまうかも...。こちらはいよいよ旧正月というタイミング。今年もよろしくお願いします。



へび年、上の姪っ子が年女。あれからもう 12 年経ったなんて... 信じられない。




年末年始は、子と二人で日本へ。実家に行くのがこんなに近かったことなんて、未だかつてあっただろうか、否、ない...!!という感じで、まったく素晴らしかったです。最低でも 13 時間かかるフライトに対し、2 時間未満とは... 両目から鱗が落ちたぜ。ちなみに行きも帰りも同じく里帰り中の某歌手と一緒になり、『同じスケジュール!!😂』とちょっと面白かった。



子は 10 日間も日本で過ごしたので、さらに日本語が戻ってきてくれて、私は嬉しい限り。父も母も、子のためにゆっくり、綺麗に話してくれているのに、私は気づいていたよ。両親のそんな気遣いが、さりげなくて暖かい。感謝。



実家では、いつも和室のお布団で寝ているのだけど、実家のお布団の中で、久しぶりにぼぉっとして、ゆっくりした時間を過ごしていたら、気づきが降ってきてくれた。


前回告白した通り、あんなに大好きだった書が苦しくなってしまい、もしや何も書けないみたいな気持ちになっていること。自分の体力の無さと、不器用さのせいなのに、思うように書に対してエネルギーが捧げられないこと。振り返ると 30 歳になった年に、勤めていた会社から突然の戦力外通告をされて、放り出されて、パリで、個人の力で生きて行かなければならなくなり、右往左往した結果、フリーになることを選び、出来ることを我武者羅にやって、なんとか繋げてきたこと。


33 歳で子を授かって、妊娠糖尿病になりつつも、翌年無事生まれてきてくれたこと。そしてそこからの、想像以上だった子育ての大変さ。東京への引っ越し、新生活。コロナ勃発。新しい生き方の模索。



2 年半後、フランスへ戻る。子は幼稚園入学、家のトラブル、とんでもなく大きな仕事を任してもらえた、新しい家へ移る。やっとこれで順調かも... と思っていたら、コロナ後にやって来た経済危機の波に見事にもまれ、日本との仕事、フランスでの仕事が、立て続けに全部終了になる。困る。出来ることを粛々とする。3 年後、40 歳。韓国という新しい道へ... ←今ここ



という感じで、ざっと思いつくだけでも怒涛の 30 代だったように思う。うん、濃いよね?!ロールモデルがいなかったし、今もいない。ちなみにここには書けないけど、もっと辛いこともあった。(あ、こういうことこそ全部ちゃんと小見出しを付けて、箇条書きにすればよかった...)




こんなに激しく、大変だったのは、きっと自分のせいなんだろうと、自分を責めて、ずっと罪悪感に苛まれていた。そういう思いを抱えていても、目の前の子育てというものはストップが効かないし、落ち着いて考える余裕さえなかった。


今まで自分のことはタフだと思っていたけど、上記の仕事が全部終了になった際には、本当に参った。夢のようなチームで働くことはもうないのだと思うとさみしかったし、コロナを憎んだ。



だけど、実家のお布団の中で、なぜか冷静になれた。『いやいや、誰がどう考えても怒涛の 30 代だったでしょ... 少し燃え尽きて、当然当然』。やっと悩んでいた自分を、肯定することが出来た。それは、長く暗いトンネルをやっと抜ける手前まで来た、という感覚だった。



おかげで、これからの 10 年もまた走り抜けられそうな気がしている。日本という暖かな Home でゆっくり過ごせたおかげで、最高のリフレッシュが出来た。"リセット"とも言えるかもしれない。感謝しかない。



振り返ると、辛いこともあった 10 年だったけど、辛さを覆すくらい幸せなこと・楽しかったことに恵まれたなと、自信を以って言える。


学びはしっかり噛みしめるとして、明るいことだけ記憶していたい。あと私は、生き急ぐ傾向があるので、ここいらで少しペースを落としたい。




今年は、ようやく念願だった絵を始めたいと思っています。ソウルでの画材屋さんもどこか分かったし、私がやりたいのは、アクリル グアッシュ画だということも分かった。(本当は油絵がいいのだけど、環境的に難しそうなので)



フランスからコンテナーで送った荷物は、まだ届いていない。トラッキングによると、2 月 1 日にようやく釜山港に到着予定、だそうである。本当だといいけれども... ちなみに 11 月中はずっとル・アーヴルの港でストがあって、積載出来なかったんだって☆ いかにもおフランスらしいエピソードである。。。



荷物が届いたら、道具を揃えに行って、家の中にアトリエを作りたい。書も出来るようにしたい。夫は夫で、自分のアトリエを作りたいと言っている。(彼はフィギュアを塗るので...)




最近、週末の度にソウルの美術館やギャラリーをちょこちょこ訪ねていて、またアートに触れる旅が始まった、そんな予感がしている。ソウルには、伝統的な部分とポップアートを見事にミックスしたような現代アートが溢れていて、今見たいものの気分にも合っている。韓国のアーティストについても、まだまだ知らないことばかりだ。



なんだかこの 15 年程、デジタルの仕事をしている時以外、アトリエに通ったり、ギャラリーに顔を出したり... 時々は真面目に製作をしたり... いや、ただパリの街並みを歩いたり、ヨーロッパで息をしていただけでも、それはまるで、壮大な美術の勉強を、長い長い時間をかけてやっていたような気がする。あちこちで名作を鑑賞する機会も得た。



いつからか、何を見ても感じなくなってしまった、硬く閉じた自分の心を、解きほぐすことが出来たらいい。アウトプットするためには、インプットが必須なわけで、もの凄いエネルギーを必要とするけれども、今の少しわくわくした気持ちがあれば、春にボールが地面を軽快に跳ねるみたいに、またいい方向へ向かって行けるような気がしている。



自分の弱さ、体力の無さ、不器用さ... 嫌だなぁと思うけれど、すべて「肯定」してあげたい。どう繕っても、それも全部、自分自身なのだから。


初めて知る「肯定」には、強いパワーがあるみたいだ。




Again, I wish you happy 2025☀️


 
 
 
  • Photo du rédacteur: Mari Okazaki
    Mari Okazaki
  • 3 déc. 2024
  • 6 min de lecture


韓国に引っ越してくる前の、すっかり寒くなった 9 月のとある日曜日の夜。直前の会社で一緒に働いていた人が、パリで語学系のコミュニティーをやっているので、イベントに参加してきた。ちなみに日本語xフランス語と、フランス語x英語の会があるそうで、パリの言語系コミュニティーでは、ここが一番大きいらしい。出会った人みんないい人で、初めて、しかも一人で参加したからドキドキしていたけど、とっても楽しかった☺️ 日本人は今すごくパリで少ないので、喜ばれるはず。ぜひ行ってみて。(下のリンクをクリックするか、インスタでDMを送ってみよう!)







事件はそこで起きた。一回目のテーブルで、奇しくも私の妹カップルと同じ業界で働くという男性と話す。自動車業界の話などをしていたのだけど、その人は突然、真顔で私に「君の趣味は何?」と聞くではないか。



その時私は、冗談でなく数秒間フリーズしてしまった... 『趣味...?しゅみ?なんかあった気がするけど、何だったっけ... 旅行もなんか違うような気がするし...』



「えっ、 子どもを寝かしつけた後、毎晩 YouTube とインスタグラムに行く以外でってこと?」と言って、笑いを取ったのだけど、この質問はけっこう響いた。なぜなら問題は、私は 10 年前まで「書道」が立派な趣味だったのだけど、ある時からそれは「仕事」になったので、最近全然書道を楽しめていない、という、私にとってけっこう深刻な問題があるからだ。



「好きなことを仕事にしたい・好きなことで生きていきたい」とはよく聞かれる言葉である。ちょっと前からのトレンドでもある。実際に、それで生きていくことができる柔軟な世の中になった証だし、それはそれで素晴らしいことだし、本人の才能次第なわけで。



私も、パリで書道を再開した時には、先生や、アトリエのレベルにものすごく刺激を受けて、それは突然やって来た雷のごとく、私は魅せられていた。『先生のように、書を仕事にしたい...!』と強烈に憧れた。無事、師範を取ったタイミングと関係あるのかないのか(それよりは諦めや勇気のような気もするし... )、時々ブランドのイベントに呼ばれて、ワークショップをしたり、ロゴのデザインを考えたり、ヘビーメタルバンドのミュージックビデオ用に綺麗なお姉さんの裸体に書いたりと、実にいろいろな仕事をさせてもらって、経験を積んだのだけど、ある時、私は確実に壁にぶつかったのだ。あんなに大好きだった書道が、「なんか、楽しくない...」



多方面から、仕事になったんだから、当たり前だろ!!甘えてんじゃねぇ!と突っ込まれるしかないと思う。えぇ、本当にその通りです。好きなことを仕事にした人は、みんなこの壁にぶち当たったのか、どうやって乗り越えたのか、教えて欲しい。ちなみに間違っても、「俺は書をマスターしたぜ!」とか思っているわけではないので、そこは誤解のないようにお願いいたしまする...。



「好きなことをずっと楽しみつつ仕事にする」、これは簡単そうに見えて、意外と難しいコンセプトのような気がしている。従来の考え方では、「生きていくための仕事、すなわち労働」と「好きなこと」は、あくまで相反するからなのか。



以前、BTS の V が、確か MTV アワードのステージで楽しく歌い踊るブルーノ・マースを見て、「あぁ、どうしてあんなに楽しそうに歌って踊れるのかな、すごいな、僕もああなりたい」と呟いたシーンが印象的で忘れられない。もしや V も、同じような悩みがあるのかな...?(もちろん、世界の BTS と現在ほぼ無職の私では、比べ物にならないことは十分承知しておりますのでご安心ください。ちなみに私の推しは V さんではなくて、WWH♡)




いろいろ調べてみると、「好きなことを仕事にしては駄目、絶対にあとで辛くなる。そういう人はみんな苦しくなって、つぶれていく。好きは好きでも、"得意なこと"を仕事にするべき」という意見も目にした。なるほどねー。そこ、二種類あったのか.....



「そういう時は、思い切って離れた方がいい」という意見も目にしたので、正直に白状しよう。去年から、少し書とは離れている。。書を見るのは今でも大好きだけど、自分が何を表現したかったのか、分からなくなっているというか...。もしかしたら、また新しいミディアムを探す時なのかもしれないし、来年になったら念願の「絵」を始めてみたいと思ったりもする。



また別の同僚のお父さんは、日本人だけど、フランスで長年画家をされている。どうやって長年モチベーションを維持されているのかな、と質問すると、その人は教えてくれた。「彼の、今の夢は、死ぬまでに出来るだけ多くの絵を残すことで、毎日描いているんですね。自分の絵でいっぱいにしたい、そうなんですね」。聞くと、大阪のデパートでの個展も控えているらしい。彼のお父さんのように、(いい意味で)ある種狂ったように、情熱を持ち続けられる人のことを、心の底から尊敬し、羨ましく思う。私は一体どこで、情熱を失ってしまったんだろうか?年齢のせいにするのは、あまりにも簡単だ。





というわけで、突然の「君の趣味は何?」。気がつけば無趣味の女になっていたわけで、こんなに悲しいことはない。Sad でもあり、pathetic... これにはいろいろ考えさせられた。でもそのおかげで、『そうだ、私は書くことが好きだったんだ... 書道でもライティングでも、私は書くことが好き』と思い出すことができた。記憶喪失なの?って感じだけど、これが私なのでどうしようもない。相変わらず意識は低いし... 。しかし、ちょうどタイムリーなことに、昨日久しぶりに会った韓国の知人に「マリの趣味って何?」と聞かれたのだけど、この事件があったおかげで、今回は自信を持って答えることができた!"Writing! I recently rebooted my blog, it's a writing blog, which was pretty dead..." ってね。



そもそも、あまり器用な方ではないので、ひとつのことに情熱が行っていると、もうひとつのことが疎かになってしまう傾向はある。熱しやすく冷めやすい。なので、この 10 年ちょっと、書に没頭していたけど、その間やはり、全然ライティングは置き去りになっていたわけで...。もう少し器用に、いろいろ平行してできるようになりたい。そう言えば大学生の頃とか、もっといっぱい書いてたな...。だけど、こうやってバランスを取りつつ、シャガールの、青の時代みたいに、人って、そういうフェーズがあったりするのかな、とも思ったりする。(BTS 然り、私と世界のシャガール先生じゃ、雲泥の差なのは承知していますけども...)



あ、今日も小見出しが全然付けられなかった...






※「どうしてまりちゃんは毎回小見出しにこだわっているわけ?」と思われる方のためへ。

私の書く文章がだらだらと、しつこく、読みづらいのは十分理解しておりまして、頻繁に改行するよう心がけたり(笑)しているのだけど、小見出しを付けないと、お父様から叱責が来るのよね... 昔から何か論文など添削してもらう際には、「文章には小見出しを付けて、読み手に分かりやすく!要点をすっきりと!!」というコメントが真っ先に聞こえてくるのだった...


 
 
 

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